- 2009年8月5日 11:34 AM
ようこそ、三河サドベリースクール「シードーム」のホームページへお越しくださいましてありがとうございます。
私たちは、いろいろな方々の協力を得て、三河地方にてサドベリースクール(デモクラティックスクール)を「シードーム」という名前にて、暫定オープンしております。(2010年5月現在)
現在の代表は私、黒柳佐智代です。
なぜサドベリーモデルの学校なのか? その動機も含めて、簡単に自己紹介をしたいと思います。
私は子どもの頃から小さい子が好きで、大人になったら幼稚園の先生になり、自分が卒園した幼稚園で働きたいと思っていました。
高校で進路を決める段階で、幼稚園教諭、保育士、小学校教諭の免許をもらえる進学先を決定。なんとか、ぎりぎりで大学に合格。大学3年の時くらいから、就職先を意識してきました。
出身園に勤めるには、地元の公立保育園に就職してから移動で幼稚園に赴任する方法がありました。
大学4年の夏休みに、少しでも現場の体験をと、A共同保育所でアルバイトをしました。
晴れて、地元の公立保育園に就職。
そこでは、3歳児から5歳児が混ざった年齢縦割りのクラスで、担任の保育士は2人という複数担任の形態でした。
数年間の勤務の後、移動希望が通り、出身園である幼稚園に転勤しました。
こちらの幼稚園では、年齢ごとにクラスわけされている一般的なかたち。担任の保育士は一人でした。
「理想の保育ってなんだろう?」
「こども時代に必要なことって?」
「どんな経験をさせたい?」
そのようなことを考えていました。
幼稚園では、保育園より自由度が高い保育形態に、はじめ混乱しました。
また、保育観がこんなに多種多様であることに驚き、何を信じるか、迷いました。
「幼稚園時代が楽しい時代であるように、意欲的に楽しめる場を提供しよう」
「集団生活の経験の場として協調性や、話を聞く態度を身につけるとともに、自分を発揮する力をつけよう」
「自己肯定間を身につけるために、愛をそそごう」
こんなことを考えて、園のカリキュラムにあうように、保育していたと思います。
その後、結婚して、長女を出産育児するために、育児休暇をとりました。
自分が子育てを経験することで、これほどまで大事に育てられた子どもを、保育園や幼稚園に預けて下さっていた親の気持ちを、身にしみて感じました。
長女が3歳になり、就園する園を考えるようになりました。
わが子を手放したくないと思いました。
夫「みんな、保育園や幼稚園に行かないといけないの?」
私「そりゃ、せめて2年保育くらいはしておかないと、小学校に入るまでのルールとか集団とかを知るために必要でしょ」
職業柄、年齢になれば親元を離れていくものだと、当然のように思っていました。
このころには、下の娘も生まれ、2児の母として、普通に主婦をしていました。
そんな折、「ユダヤ人大富豪の教え」の著者の本田健さんが、娘さんに適している園を探し、引越ししてまで通わせていたという話を、夫から聞きました。
本田さんの本で、お金の捉え方など、人生に必要なことを学校で全ては学ぶことができない、というようなことが書かれていたのを読んで、自分の受けた学校教育ってなんだったんだろうとも、考えるきっかけになりました。
さて、本田さんの娘さんは、幼稚園卒園後アメリカのボストンの学校に行くために、また引越しされていたと聞き、またまた驚きました。
どうやら、その学校は行事も授業も無いそうだと、夫から。
夫「アマゾンのマーケットプレイスでこの学校のことが書いてある本を買ったよ」
「世界一素敵な学校」という本だったのですが、とても分厚く、難しい本に感じられて、私はしばらく読みませんでした。
さて、娘はというと、公立保育園に通うことが決定し、私も同じ4月から幼稚園に復帰しました。
親になってからの保育士の仕事は新鮮でした。
そして、自分の中で最高の保育をしたいと意気込んでいました。
どんなことでも、無理強いしない。楽しく過ごしたい。
これが一番だと思っていました。
ただ、園には年間計画というものがあり、行事があります。それ以外にも、製作だなんだ・・・
遊ぶ時間も多いけど、やれ、給食だ、集まるだ・・・ という調子で、思う存分遊ぶ時間がとれません。
すべてが先生の管理の中での自由であって、とことんやりたいようにやる経験は、なかなかできないということに気がつきました。
私自身も「我慢が大事」だとも思っていました。「自己コントロールするための練習の場」だとも考えていました。
先生が設定するものに意欲的に参加するように、言葉がけや雰囲気をつくることもしました。
子ども発の意欲ではなく、先生発の意欲。
いろんな、疑問を抱えながらの、保育だったけど、子ども達はとてもかわいく、いとおしく感じました。
そんな時ふと、昔、夫が買ってきた、水色の厚い本「世界一素敵な学校」を手に取り、読み始めると、抱えていた疑問や混乱がどんどんほぐれていきました。目からウロコとはこういうことかと感じました。
「子どもは本来学びたいもの」
「自分に必要なものは学ぶようになって生まれてきている」
「自由な環境の中で、遊び、学びがある」
あまりにも極端に感じられましたが、これを信じてみたい気持ちに導かれました。
その、半年後に退職。
自由な保育園で働くことを夢見て、学生時代にアルバイトしていたA共同保育所に見学に通いました。
これまで見てきた保育園や幼稚園とくらべると、大人の介入が大幅に少ないことに気づきました。子ども同士で自治しようとする雰囲気さえ感じました。
わたしが、これまでどれだけ余分なことに干渉してきたかを思い知らされる貴重な経験でした。
子どもに干渉なんていらないのでは、、と実感しました。
本当に干渉が必要なことなんて少しだけ。
本当に急がせたりするときなんて少しだけ。
本当に守らせたいルールなんて少しだけ。
それ以外は、大人の都合で干渉したり、急がせたり、注意していたのだと思いました。
でも、この園を卒園した子どもたちは、やはり、普通の公立学校へ進学する子がほとんどです。
こんなに素敵に育った子ども達が、学校へ入り、長時間椅子に座ったり、宿題、テスト、順位付け、通知表・・・
なんだか、もったいない気がしました。
娘が将来通う学校も、公立の学校で支障はなさそうです。
しかし、いずれは、必要かどうかわからないテストに頭を抱えたり、入試で悩んだり、いじめなどの人間関係で悩んだりするのかなあなんて思ったら、「娘のいいところを、思いのまま伸ばせるところを用意したい」と、思いました。
もちろん、どこの学校に進むかは、娘自身が決めることです。ただ、選択肢を用意したい。
海外は現実的に難しいです。
国内にもサドベリー・スクール(デモクラティック・スクール)はありますが、今住んでいるところの近くにはありません。
引越しするくらいなら、いっそ、作ってしまおう。娘も通わせたいし、自分もこうした教育に携わりたいので、ちょうどいい。
こんな風に思って、今に至っています。
あれから、ボストンにあるサドベリーバレー校に関する本や、資料、ビデオを見たり、日本にあるサドベリー・スクール(デモクラティック・スクール)へ訪問したり、関わっている人に話をお聞きするたびに、この教育スタイルの素晴らしさを実感します。
近い将来、デモクラティックスクールが世の中に広まるといいなと願っています。
